立川智子創設時インタビュー of 日本カラーキューブセラピー協会公式サイト

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クライアントの心を引き出すのは、セラピスト。
セラピストの可能性を引き出すのが、私たちカラーキューブセラピー協会です。


手紙3.jpg創設時インタビュー 2007年10月1日

本日はカラーキューブセラピー協会の創設者である立川智子さんに、
協会を立ち上げた想いや、カラーキューブセラピーの魅力などについてお伺いしました。

「この世界から、
セラピーがなくなる日を夢見て」

はじまりは小学4年生。小さなカウンセラーに

立川さんは、とにかく底抜けに明るい。撮影のためにカメラを向けると、自らすすんでスキップをしてくれたり、冗談を言ったり、彼女のまわりには、いつも和やかな空気があふれている。それにひかれて、自然と彼女のまわりには人が集まる。振り返れば小学校4年生のころ、休み時間になると彼女の机のまわりには、いつも女の子たちが集まっていたという。



「みんなちょうど、おマセになりはじめるころ。私の机を囲んで、学校のこと、家のこと、好きな男の子のことなど、いろんな話をしました。そしていつの間にか、みんなから相談されることが増えていったんです」

 

立川さんの誰かの問い(悩み)に応える人生は、ここからスタートしているのかもしれない。クラスのみんなから、『どうしたらいいかなあ?』と尋ねられると、その相談に一所懸命に答えようとする自分がいた。

「相談を受けたとき、その悩みに一緒に泣いたこともあったし、好きな子がいると聞いて、一緒にラブレターを書いたこともありました。ママがいな子が生理になったときには、生理用品を二人で買いに行ったり、いじめられている子と、いじめっ子に逆襲しに行ったり、反撃にあって痛い目みたり(笑)。
小学4年生にしては、私なりに自分のハートでよく考えて、ガチンコでいろんな子の悩みに向き合ってきたなあって思います」

 

そして立川さんは、だんだんとみんなから、「おねえちゃん」とか、「お母さん」とか、「あねき」「ねーさん」などのあだ名で、呼ばれるようになっていった。

そのころ、ラジオで「こども電話相談室」という番組があり、「相談員になったらいいのに!」とまわりから言われたこともあったという。

「家でそのラジオ番組を聞いていて、『大人って難しいことばっかりいうな~』、『自分ならこう答えるのに!』と、キン肉マン消しゴムをいじりながら、内職する母に熱く語っていたのも懐かしい思い出ですね(笑)」

 これは今から31年前のこと。その後、中学校、高校へ進んでも、立川さんはいろんな人の悩みに答え続けてきた。

「悩みから心が放たれていく、その人のありのままの瞬間に、一緒に立ち会えることがすごく嬉しくて。ずっと相談に答え続けてきました。31年間で相談を受けた件数は、3万人をゆうに超えているかな。仕事として意識してからは、1万8000人以上になると思います」



すべての答えは、自分の心の中に



しかし、立川さんは、ここまで順風満帆に歩んできたわけではない。社会人となってからは、立川さんの言葉を借りれば、“ぐちゃぐちゃ人生”だったという。
「ワイドショーの電話相談に出てくるような悩みや苦しみは、すべて経験してきましたね(笑)。なぜ、私にだけこんなに悪いこと、辛いことばかり起こるのだろう?当時の私は、あの人が悪い、なにかが悪い、環境が悪いと、誰かのせいにしてばかりいましたし。相当ひどい人間でしたよ(笑)。もともと、アウェイな性質なのは重々承知だったのですが、なんだって、被害者になっていましたからね。今、当時の自分に会ったら叱り倒したいくらい!そんな、拗ねたり、不貞腐れたりと、それをどうしようもないほど遣り尽くしたんですね。そして、そんなとき、はたと気がついた出来事があったんです。あれ?今の自分の目の前に起こっていることは、すべて自分が何かを選んできた結果じゃない、って。悪いことも良いことも含めて、すべて答えは自分の中にあったんだ!と。その瞬間、思わず笑ってしまいましたね。恥ずかしいやら、可笑しいやら。世の中のカラクリが、瞬間でわかってしまったような…(笑)」


そう思ったとき、白黒だった世界がカラフルに輝きだした気がした。そして考え方が、ぐるりと180度変わっていたという。


「これからは、自分が本当に大切にしたいこと、本当にやりたいことを選んでいこう。自分の中にある答えに嘘をつかず、正直に。そうすれば、目の前に広がる風景がきっと、どんどん面白いもの、美しいものへと変わっていく。世の中をもっと体験したい、もっと見たいものがたくさんある。声を大にして届けたいものがある。そう思ったら、自分が感じるままに、心ひとつでまっすぐ生きてみよう、そう思えたんです。」



みんなの心の鍵を開くために

 

自分の心の声に素直に歩んでいけばいい。そう気がつくと、立川さんの心に重くのしかかっていた石のような塊は、もうすっかりなくなっていた。同時に、「この自分の体験は、多くの悩んでいる人のために役立つのでは? 私の生き方が、誰かを幸せにできるかもしれない」と考えるようになった。


「ありがたいことに、いろんな方が私に相談をしてくださり、これまでの自分の体験やそこから学んだことなどを含め、相談に応えているうちに、いつの間にかそれが仕事になっていきました。
私はただ、相談に来てくださった方の話をおうかがいし、その人を素直にありのまま純粋に、その人の未来が楽しくなることを信じただけでした。たったそれだけで、多くの方が笑顔になって、自分の本当にやりたいことに耳を傾け、自らの足で立って歩んでいくことを選んでくれて!これが、もうね、とてつもなく嬉しくて!カウンセリングを通して、人を育てることが、魅力的に見えたんです。そして、その先を想像してみて、こういった純粋な魅力にあふれた大人が増えていったら、この世界はどんなふうに変わっていくのだろう?考えただけでワクワクしてしまったんですよ。 私と同じ志を持った、セラピストを育ててみたい。じゃあそのためには、どうすればいいんだろう?と、考えるようになったんです。成り立ちはこういった流れだったんですけど、ちゃんと、自分の中にあるエゴにも嘘をつかず大事にしていましたね(笑)そのとき私には、当時、女手ひとつで育てていた娘がいたのですが、この娘がこれから生きていく中で、彼女にどんな悩みがあっても、それをたった5秒で悩みを一刀両断できる、そんなグレートマザー(スーパーおかん)になってやる!なーんていう、自分自身への強い野心というか、自分の理想像もありましたね。結果、その思いも含めて、多くの人にもパワーとして伝わっていったのかもしれません(笑)」創設インタビュー1.jpg


そのとき立川さんが出会ったのが、カラーセラピーだった。早速、色彩心理を学ぶ修業を始めた立川さんは、その面白さに惹かれ、色が心に与える影響などを、独自で研究しはじめた。けれど、その研究を続けるうちに、これまでのカラーセラピーに“違和感”を覚えるようになった。





「カラーセラピーの世界では、相談者が赤色を選ぶと『赤は情熱の色だから、今のあなたはきっととってもパワフルですよ!』って言われて終わり、っていう時代だったんですね。青色だとこう、黄色だとこうって、最初から答えが決められているんです。それはなんだか、人がつくった“枠”にはめられている気がしてしまって。これは、カラーキューブセラピーのカリキュラムでも学ぶ事なんですが、「色即是空」って言う言葉が、般若心経にあるんですけど、これは「いろすなわちくうなり」色には意味がないんですよ、って、そんな言葉がなんですけれど、それが私の中で腑に落ちていたんですね。
もちろん、色に意味を与えられて「あなたはこうよ」っていわれるのは占いのようで楽しいし、その場盛り上がれるけど、自分が色彩について感じることのできる豊かな感性がおざなりになっているのが寂しいなって、思いましたね。それに、はじめから決められてしまうのも、なんだかとても窮屈に思えて。もともと、枠の中で生きる事ができない性分なので、学べば学ぶほど、困っていたのを思い出しますね(笑)」




また、黒髪、黒留袖、墨色など、日本の文化の中にずっと息づいてきた“黒”が、カラーセラピーから外されていることにも、立川さんはどこか心地悪さを感じていた。

「既存のカラーセラピーに、車が数台買えるくらいの金額をつっこんで、色彩心理の勉強に費やしたんですけど、体当たりをしつくしたら、自分の中で答えが出たんです。私は、すでに答えが決められているようなセラピーは、自分のやりたいことじゃないんだ、と。私がやりたいセラピーは、色彩が自由に光を放っていくように、その人のありのままを開放し、その人の心の中にある答えを、いっしょに探しだしていく、色に染めることはせず、思う存分好きな色で生きていけるような、そんなカウンセリングがしたい。そんなセラピーがどこにもないなら、自分の手でつくろう。日本の伝統的な“黒”という色もとり入れて、和の心を大切にしたカラーセラピーをつくり上げよう!と本気で思ったんです。だって和の精神をとりいれて、現代に、失われてかけている優しくて強い大和撫子を増やせたら、とても粋な世の中になるんじゃないかって。それに、100年の夢をこの体をかりて見させてもらっているなら、すこしは魅力的な国づくりに貢献してみたいじゃないですか。だから日本に、カウンセリングという分野から、大和撫子を育てていく一石を投じてみたかったんです。」

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そのころになると、立川さんのまわりには、同じ志を抱く仲間たちが自然と集まっていた。そのほとんどが、立川さんのセラピーを受け、自分の人生を前向きに歩み始めた人たちだった。「みんな、自分の心をとことんまで追い込んだことがあったり、まっすぐ見つめ続けてきたりした人たちばかりでした。心の痛みを経験しているひとって、本当に優しくて、しなやかな強さを持っているんですよ。そういうみんなと立ち上げたら、きっと真心のこもったぬくもりあふれるセラピーができる。それこそ、日本にふさわしい和のセラピーなんじゃないかな、と。知識やマニュアルに頼って、相手に渡すこともひとつの方法だと思うけど、心いっこで、相談者の未来を本気で信じてあげられる。そんな人情を大事にする手法があったらいいなと、本気で決意したんです。」




こうして日本カラーキューブセラピー協会は誕生した。それは2007年9月のことだった。




つまづいても、転んでも、自分の足で人生を歩く。これほど尊いことはないって思う




 31年間、人の悩みに向き合い続けてきた立川さんのもとには、「こんなに人生がよくなりました」「どんどん人生が楽しくなっています」といったお礼の手紙が、たくさん寄せられている。


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「3万人の方の相談を受けていると、ありがたいことにご褒美はあるもので、『人の心を豊かにして、人生を楽しく生きていくための処方箋』が、だんだんと見えてきました。また、31年間、人の悩みと向き合ううちに、私のなかでも母性や包容力が大きく育っていったと思います。まだまだ手探りな部分もあるけれど、だいぶ手応えを感じてきたというのもあります。こうしてこのような経験を、私なりにまとめたものが、カラーキューブセラピーのセッション(現世療法)です」

 

そのセッション(現世療法)では、まずは相談者が、テーブルに置かれた10色のキューブを、自分の好きな順番にならべる。そのうえで、それぞれの色について感じたことを、思ったままに言葉にしていく。その言葉をもとに、立川さんが今の状況や、悩みなどをゆっくり丁寧に聞き出してくれる。「この色はこうだから、赤色のものを持ち歩いた方がいい」などという、決めつけのアドバイスは一切ない。



「私たちは、答えを出す人ではありません。目の前の人が最高の人生を歩いている所を想像しながら、いっしょにその人の本当の気持ちや、やりたいことを探していくのがセラピストの役割。セッションを通して、本当の心の声が聞こえてきたら、その声に素直になることに、一緒にOKを出す。無理強いのない力加減で、その人が行きたい素直な方向に背中を押してあげる。楽しい未来を想像して、その人の可能性を誰よりも信じ続ける。私たちは『助けて』と、本当によくなりたくて伸ばされた手を、決して放すことはないですね。」

 

さらに、立川さんは続けた。「本当にやりたいことが見つかっても、人生はすべてがうまくいくわけではないし、壁にぶつかることもあるかもしれない。もしかしたらそっちの方が多いかもしれない。誰だって不安で動けなくなる事も、悔しさに涙することも、理不尽さに痛い目をみることもたくさんあると思うんですよね。でも、それも含めてまるごとOKなんじゃないかって、そう思います。失敗したって、誰かに何か言われたって、理不尽であったって、自分の足で一歩ずつやりたいことに向かって、素直に歩いていく。これほど尊いことはないよなあ、って。たとえ、へたっぴでも、不器用でも、ありのままに素直に生きていくってことは、とても魅力的だなあって思うんです。」





自分も周りも幸せになれる世界を目指して

現在では、立川さんの想いに共感し、全国で多くのセラピストが活躍している。最後に立川さんに、これからについてたずねてみた。
「私は、本当に想いを共有できるセラピスト仲間を、ゆっくり大切に育てていきたい。そしていつか、この世の中からセラピーがなくなる日がきたらいいなって思っています。すべての人が自分のことを大好きになったら、たいがいの悩みはなくなるものなんですよね。だから、自分のことが大好きな人たちを、増やしていきたい。そうして、素直に人生を歩んでいけたら、周りの人も幸せになれますから。すべての人が、ファミリーのようにつながって、笑っていられる世界にいたれたら本当に嬉しい。そのためにも、私自身も日々、わくわく面白く自由に生きていきたいし、こんなふうに生きたって大丈夫だよと、愛ある非常識(笑)を背中をみせていけたらなあ、と思っています。これからも、多くの人に自由な人生への一歩を踏み出すきっかけをどんどん届けていきたい。
そうしていつか『もう、セラピーなんて必要ないや!』ってみんなが思う、そんな日がくることを夢見て、これからも人生を全うしていきたいとおもいます。」